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<<   作成日時 : 2012/08/29 20:53   >>

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ねずさんのひとりごとより完全転載。目から鱗のいい話です。

最近はカタカタ英語が多くなってきて、何やら意味不明な用語としてカタカナ文字が使われる傾向があるようです。
カタカナ英語にすると意味がわからず、わからないからお経みたいなもので、なにやら「ありがたいもの」という認識が生まれるのかもしれません。

明治の人たちは偉かった。
英語のソサエティを、「社会」と訳したのは、やまと新聞の創業者の福地源一郎だけれど、こうした形而上学的な言葉を、いかなる日本語に訳すかということも、ある意味、知性の現れなのかもしれません。

今回テーマのアイデンティティ(identity)も、イマイチ意味がつかみにくいカタカナ英語です。

アイデンティティは、近来の学者さんによると、「自己同一性」と訳すのだそうですが、申し訳ないが、これでは意味がさっぱりわからない。
むしろ、なにやら異常心理学の分野に属する心理学用語みたいな感じです。

そもそも「アイデンティティ」は、米国の心理学者、精神分析家エリック・エリクソン(Erik H.Erikson 1902-1994)によって提唱された理論です。

その内容は、以下の通りです。

〜〜〜〜〜〜〜〜
アイデンティティとは「自分は何者なのかを知ること」であり、自らのルーツにある誇りある伝統と文化を知った若者、つまり自らのアイデンティティを確立した若者は、自らをその誇れる大いなる存在に同化させようとする。

その結果、若者たちは健全な精神を獲得し、「公」を大切にし、社会や国家に対して健康な忠義心を持つようになる。
そういう若者達によって担われる社会は、きわめて健全性の高い社会となり、高邁な精神文化を持った国家を形成することができる。

逆に青年期にアイデンティティが正常に獲得されないと、自分のやるべき事が分からないまま日々を過ごしたり、時に熱狂的なイデオロギー(カルト宗教や非行など)に傾いてしまう。
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つまり、ひらたくいえばアイデンティティとは「自己帰属」であり、もっと簡単にいえば「身元」ということができます。

私達は日本人です。
その日本人が、日本人とは何か、我々の祖先たちは何を考え、何を理想としてきたのか、そして日本は、日本の長い歴史の中で、何を求めて国づくりをしてきたのか、それを知ることが、アイデンティティを得るということです。

つまり、簡単にいえば、
私達が私達日本人の身元を知ることが、アイデンティティを確立するこということです。

その身元がわからないとどうなるか。
自らの身元を得ようとして、よその文化を自らの身元としようとします。

典型的なものが、戦後の歴史教育における階級闘争史観です。
そもそも階級闘争などというものは、日本には存在しなかったものを、いたずらにマルクスという酔っぱらいが唱えた階級闘争という概念で、日本の歴史を計ろうとする。
だから間違える。

いい例が、百姓一揆です。
百姓一揆と聞くと、いまの日本人に聞けば、100人中99人までが、ムシロ旗を立てて商家や代官所を襲う打ち壊しのようなものを想像するようです。

事実はまるで違う。
百姓一揆なるものは、江戸日本においても、ほぼ毎週のように全国どこかで行われていたものです。
ムシロ旗を立てていたのは、事実です。
けれど、それが暴力事件にまで至ることは、まずなかった。
江戸300年の歴史の中で、打ち壊しがあったのは、ほんの数えるほどのことです。

では、実際の一揆は、どのようなものであったのか。
それとまったく同じものを、私達は、日常的に目にすることができます。
そうです。
街宣デモです。

たとえば昨今の保守系街宣デモでは、みんな日の丸の旗を手にしています。
あれが、ムシロに変わっただけ。
それがかつての百姓一揆です。

いまも昔も、一揆やデモに参加する人たちは、そのデモで暴力事件を起こそうなどと、まったく考えていません。
むしろ、暴力を振るわず、整然と行進し、終わればみんなで一杯飲んで、互いの親交を温める。

考えてみてください。
田舎で農家を営んでいる実家の兄ちゃんや義理の妹たちが、革マル派の暴力沙汰のような一揆をするような軽率な人たちなのでしょうか。

階級闘争史観では、日本の人口の9割に及ぶ農家が生産した米を、人口のわずか5%に満たない武士が五公五民や、四公六民という高い税率で巻き上げた、だから農民はいつも貧しかったと教えます。
馬鹿なことを言わないでいただきたい。
西欧の貴族や王族と日本はまるで異なるのです。

あたりまえのことですが、人間は食い物のある分しか、人口を維持できません。
3000万の人口に対し、食料が2000万人分しか生産できないなら、足らない分の食い物を海外から調達するのでなければ、1000万人は死んでしまいます。

しかも江戸日本は、鎖国していたのです。
海外からの食料調達はありません。

ということは、国内で生産された食料だけで、日本中の人は生きていた。
人口が3000万人ということは、3000万人分の食料しか生産されていなかったということです。

その3000万人分の食料のうち、半分を、人口の5%(150万人)が食べちまったら、残りの人たちは、飢えて死んでしまいます。
論理的にありえないのです。

そもそも、年貢のもとになるのは、言うまでもなく「検地」です。
検地台帳は、耕地の広さはもちろん、土地の質、陽当たりの善し悪しなどまで克明に記録され、一定区画の土地からどれだけの収穫が見込めるかが算出されています。

「検地」に基づいて年貢(税)が取り立てられます。
当然、この「検地」は、毎年調査されていると思いきや、なんと江戸270年を平均して、ひとつの村につき「2回」しか行われていない。

しかも新田開発したところは、開発時点で「検地」が行われているけれど、たとえば幕府直轄地などは、豊臣秀吉の「太閤検地」以来、検地は行われていません。
これがどういうことかというと、今でいうなら、「会計監査」が270年間、まったく行われなかったということです。

平和だった江戸時代に、農業技術は非常な進歩を遂げ、江戸中期以降の1ヘクタールあたりの米の収穫量は、いまとほとんど変わりがないところまで進歩しています。
それだけでなく、養蚕や、小麦、大豆、大根などの他の生産物の収穫も、進んだ。

いまでいったら、明治初期の税率で、いまの所得を計るようなものです。
太閤検地の頃に定めた納税額で、いまの税金を納める。
となれば、実際には、脱税のし放題です。

まじめなお代官は、これではいかんと検地を再施行しようとします。
すると農民は既得権を侵害されることになるから力一杯抵抗する。
まじめなお代官を「悪代官」と呼んでそしる。

お代官は、派遣された官僚ですから、民から不評が出ると、更迭の対象となる。
こうしてまじめなお代官(悪代官)がいなくなると、民ははたまた脱税のし放題となる、というわけです。

おかげで、江戸期の農村は、所得水準・教育水準とも非常に高く、農民出身の学者もたくさん出現しているし、武芸に秀でる者もいた。
それだけ、経済的に余裕があったのです。
新撰組の近藤勇も、土方歳三も、沖田総司も、百姓の出ですが、武家以上に剣術に励めるだけの経済力があった。

もちろん、現代に較べて豊かであったかどうかは別問題です。
凶作が続けば餓死者も出るし、当時の住居にエアコンが完備してたわけではないです。
しかし、江戸初期には入口は「むしろ」だった農家も、江戸中期にはちゃんとした扉ができ、多くの農家が家内で養蚕ができるほどの大きな家を建てていた。

そしてもうひとつ大事なことは、年貢は「土地にかかる税」であって、人にかかる税ではない、ということです。
どういうことかというと、年貢を払うは、自分の土地を持って農業を営んでいる自作農以上の農民であり、圧倒的多数いた小作農ではない。
地主から土地を借りて耕作している小作人は、地主に小作料を納めるのであって、彼らに年貢を治める義務はなかった。

小作人というのは、今でいったら歩合制の従業員です。
自作農は、小作人に土地を貸している地主、つまり経営者です。
そして実際には、江戸時代の農民一揆や打ちこわしは、領主や代官と農民の間の紛争ではなく、地主と小作人との間に持ち上がっていた場合の方が多いのです。
要するに、いまで言ったら、企業内のストライキのようなものです。

さらに、水呑百姓というのは、実質的には、地主に雇われて耕作をする季節労働者です。
これを教科書などでは、最下層の貧民のように扱っているけれど、ところがどっこい、水呑百姓には、相当裕福な者もいた。

実は、水呑百姓というのは、今でいったら、パートさんです。
別に本業を持って、アルバイトとして農作業を手伝っていた人たちです。

要するに、ただ、自分の土地を持っていないというだけで、江戸期の制度では水呑百姓に分類されているけれど、実際には、商工業者や武家の次男坊や三男坊が、農家の手伝いをし、給金を稼いでいた。
当然、水呑百姓も、年貢の納税義務は持っていません。

さらにいえば、自作農というのは、土地持ち農民であり、生産手段と労働力を自前で持っている人々です。
マルクス主義でいうなら、ヨーロッパでいう「ブルジョワジー」、つまり地主支配層に分類されるべき存在であり、人口的に圧倒的に多かった小作人や水呑百姓からみれば、かれらこそが「領主さま」そのものだったといえます。

「農民は生かさず殺さず」とか、「農民とゴマの油は絞れば絞るほど良く取れる」などという言葉だけが独り歩きし、江戸期の農民が恒常的に極度に困窮していたようなイメージ、印象操作がされていますが、要するにそれらは反日左翼のプロパガンタにすぎません。

六公四民、五公五民、四公六民などなど、いかにも厳しい税率だったようにいわれる江戸時代ですが、最近の研究では、どうやら、当時の実際の税率はおおむね10%程度であったと言われています。

そうなると、国富の九割を農民が、残りの一割を、武家が受取り、商人は農業生産物の流通で儲け、職人はそれぞれの階層の利益の一部から所得を得ていたことになり、鎖国経済の日本の姿が、自然と納得できるものとなります。

さらにいうと、新規に開発された新田などでは、課税されない場所も多かった。
おかげで、農村にも和算(日本の数学)をはじめ読み書きソロバンといった基礎教育が普及し、全国的に極貧どころか相当に文化的な生活を送る農民が多かったというのが史実です。

中には、農業の専門書も書かれているし、自分で農業を行うかたわらで、各地の農業指導を行う者もいた。
農業の専門書を買うにしても、勉強するにしても、生活にある程度の余裕がないと、こうした事はできません。

これから、夏祭り、お盆のお祭りのシーズンになりますが、祭りといえば、祭り囃子の笛、太鼓、屋台に神輿に、縁日の露天が立ち並びます。

祭り囃子の笛太鼓は、誰が演奏するのでしょう。
農民です。
露天の夜店で、買い物をするのは誰でしょう。
農民たちです。
なにせ江戸時代、人口の9割は農民たちです。

要するに、彼らには神輿を造り、保管し、祭り囃子を練習する時間もあれば、夜店で買い物をする生活のゆとりもあった、ということです。

要するに何を言いたいのかというと、階級闘争史観では、日本社会の実像を浮き彫りにすることはできない、ということです。
社会の構造、社会についての考え方がまるで違うのです。

戦時中、日本人は悪いことをした、とデタラメを教える馬鹿な教師が後を絶ちません。
中には、ありもしないねつ造に騙され、わざわざ韓国にまで生徒たちを連れて行き、生徒に土下座までさせる馬鹿教師、馬鹿学校まで出る始末です。とんでもない話です。

民族としての誇りと自覚を持ち、僅かな装備、僅かな兵力で、常に味方の10倍もの敵と戦い続けてくださった私達の父祖を貶め、はずかしめる。
まさに、学校ぐるみ、社会ぐるみで、祖先にたいする「いじめ」を、教師たちが率先してやっているのです。
これでは、おなじことを子供達がしたからといって、子供達を責めることなどできはしません。
実にとんでもない話です。

民族のアイデンティティを知るとは、民族としての歴史を知る、日本人とは何者なのかを知ることです。
誇りある伝統と文化を知った若者、つまり自らのアイデンティティを確立した子供達は、自らをその誇れる大いなる存在に同化させようとします。
その結果、若者たちは健全な精神を獲得し、「公」を大切にし、社会や国家に対して健康な忠義心を持つようになるのです。

昨今、香港で、中共の歴史教育に対して、思想教育を排除せよ、とするデモが起きていると報じられました。
なるほど、一理ある。

ただ、私は思うに、歴史教育というものは、民族のアイデンティティを育成するという目的を持ったものであると思うのです。
その意味では、中共の歴史教育は、ある意味、いいところをついている。
ただ、内容がねつ造ばかりという点が問題なのであって、歴史教育は思想教育、すなわちアイデンティティ教育であるということは、実は、たいへん要点をついた教育体制であると思っています。
繰り返しますが、もちろんその内容は別です。ウソを教えてはイケナイ。

よく、歴史は過去の事実を教えるものであるという人がいるけれど、これは偽装です。

「昨日、AさんがBさんに会いました。」
これは事実です。
けれど、これだけでは、無味乾燥であり、何も得るものがありません。

「昨日Aさんは、日頃尊敬するBさんに会いました」
こうなると、歴史に物語性が生まれます。
そして「日頃尊敬している」って、なぜ?どうして?という疑問が生まれます。

その疑問から、なぜAさんがBさんを尊敬するに至ったか、という物語が生まれます。

言い換えれば、歴史を学ぶ、歴史を知るということは、歴史の物語を学ぶ、歴史の物語を知る、ということなのではないかと思います。

人は、物語に生きています。
恋愛も、それぞれの恋愛には、心のふるえる感動の物語があります。

その物語を学び、今に活かし、未来を築く礎にする。
それが歴史を学ぶということではないかと思います。

日本民族は、世界最古のご皇室を抱く民族です。
ということは、日本人が日本の歴史を学ぶということは、その世界最古のご皇室を中心とした日本人の営みの物語を学ぶ、ということです。

私は、そういう歴史教育の復活を望んでいます。

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